松林図(右隻)

長谷川等伯 安土桃山〜江戸時代初期
はじめ長谷川信春を名乗り仏画などを描いていたが、
のち30歳を過ぎて上洛。当時の主流であった狩野派に
対して強烈なライバル意識を持ち、独自の画風を確立。
千利休とも親交を持っていた。
完成させた頃、息子の久蔵が26歳の若さで亡くなっ
ており、その悲しみを背負って描いたとも言われる。
樹木の描き方には、等伯が私叙した牧谿の影響が見ら
れるが、もはや模倣の域ではなく完全に自己の画風に
取り込んでいる。等伯の生まれ育った能登の海浜には、
今もこの絵のような松林が広がっており、彼の脳裏に
残った故郷の風景と牧谿の技法と結びついて、このよ
うな日本的な情感豊かな水墨画が誕生したとも想像さ
れている。
つまり、尊敬すべき師の一人です。長谷川等伯氏。
by kenbian0522
| 2010-02-04 19:33
| ARRRRRRRRRRRT